≪KTさんの自己改善7回コースの体験感想文≫

私は一応カワシマさん発行のメルマガ購読者で、とは言え 正直に言うと配信されるメルマガを忙しいから後で読もうと溜め込んでいたり していたくちであったりするのだが、催眠療法については10年程前に読んだ ワイス博士の『前世療法』という本で何となくではあるが知っていて、 信じてもいたし、いつか機会があったら自分も受けてみようとは思っていた。 その思いが実現される事になったのは、時期が熟していた事もあったのかも知れない、 何となく後ろを押される様に、気付けば予約を取るべく行動を移していた。

勿論初めての経験なので、どんなものか不安や心配がなかったと言えば嘘になるが、 しかしその時の私は、療法を受けた後の結果より、まず行動を起こす事自体が 大切な事の様に思え、勿論即、問題解決に繋がればそれに越した事はないが、 過剰な期待を望んでいた訳でもなかった。

それは、人に依存し助けを求めても、その力もある程度までの頼りでしかなく、
最終的には結局自分自身で救われていくしかないのだという事は
今までの経験上で既に知っていたからである。

どんな成果が得られるの分からないけれど、今まで生きてきた中で受けてきた 心の傷の治癒を含め、病気、家族の事他現在抱えている問題等、 それらにどんな意味があるのか、又明るい未来を築ける為に 今の自分にできる努力はどんな事があるのか、それを見極めたくて 催眠療法という未知の世界に足を踏み込む事にした。

カワシマさんの元を訪れたのは、富士山の美しい姿を望める 冬のある晴れた日であった。 事前にメールで現在の状況や自分の想い等を伝えてあったので、 カウンセリングは確認程度で済ませ、まず、最初に催眠状態に入り易い様に、 気功ヒーリングをしてもらった。

私の体には相当な邪気があった様で、それも大いに頷ける事ではあった。 それまでただ家族の為に我慢・根性・忍耐で過ごしてきた私には 当然の結果だったかもしれない。 原因不明とされている罹患中の病気も、このストレスによるものであろうと 自分では診断していた。 邪気がかなりの量だった為、その除去に午前中いっぱい要し、 催眠療法は午後からとなった。

一緒にランチを食べに入った所が和定食屋さんで、まずは新鮮なお刺身に、 さすが沼津と実感、しかも安価であるときているのだから、 それだけでも来た甲斐があったというものだ。(笑)

さていよいよヒプノセラピーである。 目的があって受ける事を決心したのだが、ま、何がしかの興味がない訳でもなく、 不安がなかったと言えば嘘になるだろう。 が、誘導されながら、あれ?もう始まってるのかな?これが催眠状態? もしかして私かかってないんじゃないかなー?、と思われる程、 予想に反して本当に普通の状態と何ら変わらない様な感じに少々拍子抜けしたのが 正直な所であった。 もう少し、睡眠状態に近いものだと思っていたのだけど、 起きている状態でただ目を瞑って自分で色々想像しているだけの様にも思えた。

でも、そんな不安もセッションが進むにつれこういうものなんだと 判るようになっていった。 最初に現在住んでいる家の玄関の前に立った。 何故か私はその玄関に向かって後ろ向きに立っていた。 入っていきたくないんだろうなという事が顕在意識で自分にも何となく分かった。 促されるまま家の中に入ると居間に主人と子供達がいたが、皆押し黙ったままで 会話もなく表情も何となく無表情で暗い感じだった。

確かに家庭内に問題はあり、私自身リラックスできる場所ではないものの、 実際は会話もあれば笑いもありもう少し明るい雰囲気であってもいいはずなのに、 余りに違うその様子に何の意味があるのか理解できないでいると、 カワシマさんが「大変だったんだね。」という様な事を言った。

その途端、ぐわ〜っと抑圧されていた感情が一気に湧きあがってきて、 思わず号泣してしまったのには自分でも驚いた。 今まで必死で頑張って守ってきた家庭が、実態はこんな楽しい団欒もない様な 悲しい家庭だったなんて・・・と思ったらとにかく悲しくて悲しくて。 こんな風に声を出して泣く事ができるんだなーと自分でも感心し、 そう言えば声を出して泣いたのはいつが最後だったか、記憶にない程昔の様にも 思えて、思えばもうずっと、こんな風に感情を出す事をしないで過ごしてきて しまったんだなと改めて気付いた瞬間だった。 こうして表現できずに鬱積していた様々な感情が邪気となって私の体内に蓄積し、 病気の原因となってしまったのだと感じた。

その後、今度は自分の小さかった頃に戻った。 私は幼少児期を過ごした家のすぐ裏にあった土手の上で一人立っていた。 そこを下りて家の近くまで戻り当時遊んでいた近所の友達と何人か会い、 色々な事を思い出し、懐かしい感情を覚えた。 小さい私は当時住んでいた家の中に入った。

家の間取りがイメージの中で映像として甦り、私は台所にいる母の側に立っていた。 カワシマさんに母に対して何か言うように促されたのだが、どうにもこうにも 言葉が出ない。 と言うより、まるで私の心が拒否しているかの様に、拒絶されるのが 分かっているかの様に甘えるどころか話し掛ける事さえできないのだ。

その時の母の姿はまるで冷徹な人間の様で無表情の顔に笑みを浮かべる事もなく、 私には無関心で私の事がまるで目に入らない様でもあった。 どうしても抱きつく事も話す事もできずにいると、今度は父親のいる方に 行ってみてと言われ、父親が座っている居間に行った。

そこで父に声を掛ける様に促されると、何と父親にはすんなり話し掛ける事が出来、 何の抵抗も無く手を繋ぐ事もできてしまったのである。

これには驚いた。現実とまるで反対なのだから、どういう事なのか 全く理解できなかった。 母と私は時々会ったり電話で話したり、その関係に特に問題を感じた事はなかったし、 何より病弱だった私を育児ノイローゼ寸前までになりながら一生懸命育ててくれた 恩は十分感じているし、当てにならない夫(つまり私の父親)に3人の子供を抱え、 それこそ自分の事を顧みず愛情を注いでくれた事に対する尊敬と感謝は、 自分が親になってみて改めて感じてもいる。

また私の記憶の中にも、そんな怖い母親の姿はなかったし、実際は何でも 話し合える仲なのに、何故一言の声も発せられないのか、今まで見た事もない様な 母の姿に私は戸惑った。

しかも私は、自分に問題があるとすれば、どちらかと言えばファザコンの気が あるのではないかと心配していた様なもので、不在がちで亭主関白の恐い父親に、 実際甘えた覚えがなかったし、とても甘えられる様な雰囲気の人ではなく、 居ればいつもうるさく小言を言われているか怒られているかという感じだったので、 友達の優しいマイホームパパをとても羨ましく思っていたのである。

それが催眠の中ではその父親に対して簡単に甘えられる自分がいたのであるから どうにも解せないでいた。 しかし、頭では理解できなくても、父親の膝の上にちょこんと座っている 幼い私の姿を見た時、父との関係はそれ程重大な問題だと思わないまでも、 ずっと心のどこかに引っ掛かっていた事ではあったので、心配する事なんて 何もないんだな、自分で勝手にそう思い込んでいただけかもしれない、 もしかして忘れてしまっているだけで実際はこんな風に甘えていた事も あったのかもしれないし、べたべたする事はなかったとしても心の中、 意識の中では決して悪くない親子関係を結べていたのかもしれないと、 安心する事ができ、心の霞が晴れたようで嬉しくなった。

次に私は、それよりもう少し小さい頃に遡ることになった。 その当時住んでいた家はまた前述とは別の家で、そのすぐ近所には所謂 悪ガキと呼んでもいい様な暴力的な男の子が住んでいた。 私よりも2歳程年上で、母親が異常な程厳しく、彼はその母親の前では非常に 大人しくいい子にしているのだが、その反動か、外に出ると暴力的に私達を 苛めてばかりいた。 今考えると苛められやすいタイプの私は絶好の的になっていたのであろう。

そこで私は、私にとっては少々忌まわしい余り思い出したくない事を思い出していた。 例の悪ガキが私に暴力を振るうのだが、私はその彼に対し、はっきりと「嫌だ。」 という言葉と態度を示す事をしていなかったのである。 自分ではそういう思いで伝えていた様に覚えているのだが、 彼より小さくて気が弱かった私はただ恐怖を感じて毅然とした態度が取れず、 何となく我慢してうやむやに、されるがままになっていた様でもあった。

何故こんな事を思い出したんだろう?と思っていると、 カワシマさんが、「ほら〜、もうこんなずっと前から引きずっていたんだよ。」と 教えてくれて「はっ」とした。

私自身が今抱えている問題の原因が、こんな頃から端を発していたなんて 思いも寄らなかっただけに、これは正に目から鱗であった。 そうなのだ、その時、はっきりとした意思表示が出来たはずなのに、 何故出来なかったのだろう、こちらに何の非もないのだから堂々と言えるはずなのに、 言わなくてはいけないのに、その時の自分は言えない自分だったのである。 それが現在にも微妙に影を落としている様でもあった。

だが、過去は過去である。 その男の子を連れて、一緒に大いなる存在に会いに行こうという事になった。 私は、大いなる存在と呼ばれている人にはもっとずっと後になってから 会いに行くものだと思っていたので、心の準備のなかった私は 「えっ?もう会えるの?こんなにすぐ会えるの?」と思ってしまった。

念の為にカワシマさんに「大いなる存在って何ですか?」と質問したら、 「それはあなたの潜在意識だよ。」と答えが返ってきた。

森の中を歩いていくと、古い大きな洋館が姿を現した。 扉の金具をコンコンと鳴らすと中から執事の様な人が出てきた。 その後ろにメイドさんも居た。 中に入るとすぐ螺旋状の階段があり、その上に部屋がありそこに行くように促された。

最初の扉を開けると、中は真っ暗で何も見えなかった。 カワシマさんに部屋中の窓のカーテンを全部開ける様に言われて イメージの中で実行すると、その部屋の中にもう一つ扉が見えた。

そこにいるんだと思って、扉の前に立ち開けた瞬間、目の前一杯に カメラのフラッシュの様な光が明るく大きく光り、その向こうに 大いなる存在がにこにこして立っていた。

「よく来ましたね。待っていましたよ。」と言って私を優しく迎え入れてくれた。

「ああ、やっぱり・・・。」と私は思った。

その人は私のよく知っている実在の人で、誠実で信頼の出来る人で 実際にも相談役になってくれている人であった。

そこで、大いなる存在に、私が今後家族に対してどんな態度を取っていけば いいのか、カワシマさんに促され色々と尋ねてみた。 私とその人が会話している様子は現実にもある事なので最初は何の違和感も なかったのだが、そのうち「あれ?」と思い始めた。

実際にも私は似た様な質問をその人にする事があって返答の内容は だいたい予想がつくのだが、催眠の中での大いなる存在としてのその人は、 時々全く正反対の返答だったりするのである。

私は少々混乱した。 どういう事だろう。 どっちが本当なのか。

カワシマさんにその事を伝えると、 「それは、大いなる存在の姿はその人だけど、あくまでイメージとしてそう 見えるだけで実際のその人ではない。だから、大いなる存在が言っている事は、 その人が言っている事ではなくて、あなたの潜在意識が言ってる事なんだよ。 あなたが一番信頼できるという事で、この人の姿だったらあなたが聞くだろうと いう事でイメージとしてその人の姿になって現れているだけだから。」 と教えて頂いた。 う〜ん、なるほど・・・。そういう事かと納得した。

そうして、いよいよ私は未知の世界、自分の過去世へと更に戻っていく事になった。 訪れた過去世の詳述は、ここで語るには量的質的にも限度もあり、 時間的にも無理なので割愛させて頂くが、現世に影響を与えていると思われる いくつかの過去世を見たのだが、それは見るというよりは体験したと言ったら いいのだろうか。 想像では映像として見える感じなのかと思っていたが、私の場合は頭の中に 何となくイメージとして顕れるという感じで、最初は何となくぼんやりとしていて よく分からないのだが、それが何となくそうかな?と思うと、 次第に少しずつ分かってくるという感じで、映像としてはっきり見える という訳ではなかったので、最初は自分で勝手に作り上げているのではないかと思えた。

しかし、内容にストーリー性もあり登場人物も様々で、だいたい現在の家族や知人が、 色々なかたちで登場するのだが、まあ、どんなに想像力があっても優れた小説家でも、 その設定から内容・題材までこうも上手くは描けないだろうという事は、 想像しようとしても考えの一端も浮かびもしない、そんな才能を全く持ち合わせて いない自分が一番よく納得できる事実であった。

それこそ世界各国、性別問わず様々な時代背景、状況での生を経験しており、
普段自覚はしていないが、そう言えば自分にはそういう性格的傾向があるという事は
認識できるし、その片鱗が今の自分の中に垣間見られる事も否定できず、
それらの積み重ねで今の自分があるのだと知る事ができたのは、
今の自分を知る上で、非常に貴重な体験であったのは間違いなかったと思う。

そしてどの過去世にもそれなりの意味があって、今と全く同じ様な人生を送っていて、 そこで気付かなければ又同じ過ちを犯してしまうという事が分かったり、 色々な出来事・問題、その事象には何か意味があってそうなっているという事、 自分で望んで自らの意思でその生を選択して生まれているという事等も 知る事ができた。

どれも必ず気付きと学びがあり、一つ一つ納得する事ができたのは、 自分にとっては本当に良かったと思っている。

角度を変えて見るなら、現在自分が抱えている問題も、受けている艱難辛苦も 全て意味がある事、試練であり、愚痴っても何の意味も無いし全くの時間の 無駄であり、解決なくして逃げれば何の成長もないという事なのである。

正に今の自分は過去世での体験の産物に他ならない。 過去の自分を知って、今の自分を知る。 今の自分を知れば未来を知る事ができるという事であろうか。

現在の体験により、またこれからの自分が作られていき、それは、 言い方を変えれば、今の自分の思考や行動によって運命はどんどん変わり得る という言い方が出来るのかもしれない。

何より、自分の事は自分が一番よく知っている、何でも分かっているという事である。 また、確かに宿命は存在し、自分の力ではどうにもならない様にも思えるが、 それは非常に視野(心)の狭い見方であって、広く大きな宇宙的見地から見れば、 宿命は誰かに与えられ決められているのではなく、実のところ、 魂の一生は自分で学習の種を選択し学びつつ、永い年月をかけ何度となく 転生を繰り返し、自分で築きあげていっているのかもしれないと思うに至った。

そして、セラピーの最終日、 光の存在に会いに行って未来を見てみようという事になった。

私の娘が時々彼女自身の前世を夢で見るようなのであるが、 彼女が中学生の頃だったか、その中に太古の昔、場所は日本の様で、 卑弥呼がいた様な時代背景だった様であるが、 私がヒーラーだったというのがあった。

実際の私にはそんな力もないし、特に興味がある訳でもないので一笑にふし、 数年前の事なのですっかり忘れていて思い出すという事もなかったのだが、 セラピーを続ける中でふとその事を思い出したので、 娘にその時見た夢の内容を再度話してもらった。

驚いた事に彼女はしっかりと覚えていて、その事実が何となく 私がカワシマさんのもとでみたある過去世での事実と繋がる事実があって、 それまで半信半疑であったのだが、彼女の夢は単なる夢だけというのでも ないのかも知れないと確信できる様になった。

これまでのセラピーで私には何か使命の様なものがあるらしいという事分かり、 それが何なのか、上述のヒーラーに関連するものなのか、その為に今何かできる事は あるのか、病気の事も含めそんな事も聞いて見ようという事になった。

光の存在は、最初は大いなる存在と一緒の、私の知人であった様に思うのだが、 よく覚えていない。 と言うのも、最初そう見えただけで私の頭の中は光の存在からの メッセージが次から次へと浮かび上がって、それを言葉に出す作業に 意識が集中していたのだろうか、いつしか映像というイメージは全くなくなっていた。

その時の状態は無と言えるのだろうか、 それがどういう状態かも分からないので表現のしようがないのだが、 まるで光の存在が私に乗り移って、私の口を借りて勝手に演説ぶってる みたいな感じであった。

何で私はこんな立派な事言ってるんだろう? 内容は何だか深くて大きな気付きだった事だけは覚えているのだが、 その詳細は時間が経過している事もあり殆ど思い出せないのである。 とにかく量的にも結構あって、何でこんな事がスラスラと出るのか 不思議な程次から次へと口について出ていたのは確かである。

覚えているのは単純に私の質問に対する返答の内容である。 まず自分の病気は大丈夫だという事であった。 原因不明の難病に指定されている病名なのだが、 何故か私自身それ程心配する事はなかった。

ストレスでなってしまったのだから、きっと治る、心の平安を得られる様な 状況になれば大丈夫だと何の根拠もないのだが自分自身何となくそう感じていた。 ただやはり何かと日常生活に不便はあるし出来れば治ってほしいというのは 正直な思いである。

カワシマさんから、病気も意味があってなっているんだよと言われた時、 ああ、そうだ、きっと無理をしない様に、ブレーキの役割をしてくれている のかもしれないと、ふと思った。 だから、生活に支障をきたし辛いという程悪化する事はないのだと、 だから大丈夫なのだと、それが必要なくなれば治るのだと確信する事ができた。

さて、次に私の使命であるが、 この質問をした時、何故か私は大きくて広い草原の中に横たわっている、 いつも催眠状態に入る前にイメージするシーンに行っていた。

「あれ?何で?」と思ってカワシマさんに状況を説明すると、 「それは、あなたがリラックスできる様な生活を送れる様になれれば、 そういう力も出てくるって事だよ。 時期がくればそうなるって事だよ。」と言われた。

なるほど、そういうものなのかも知れない。 今の生活はまだ問題が完全に解決されていない状態で緊張感を強いられている為、 色々な事情から精神的にも状況的にも無理なのであるが、 しかしセラピーで大いなる存在からは、そう遠くない将来、精神的に安定できる 生活を得られる様になれるという事を言われていたので、 それも時期が来たら自然とそうなるという事であった。

それから最後に未来を見せてもらおうという事になった。 未来が分かるなんて本当だろうかと思わなくもないのだが、 カワシマさんは信じるも信じないも自分次第で、信じて行動すれば その様になると言った。

でも、もし自分の願望や意向と違う未来を見る事になったら正直なところ嫌だし、 何だかがっかりして前向きに生きていけない様な気もするし、 知りたいけど知りたくない様な一種の恐怖もある。 しかし、それまでのセラピーで大いなる存在から何度も大丈夫だという事を 言われていたし、自分の願いも叶いそうだし、それも意味があって、 そういう生活を送れる様になるらしい事もある程度分かっていたので、 カワシマさんからも励まされ光の存在に尋ねてみる事にした。

さて、期待を胸に聞いた光の存在からの言葉は、 「その時が来れば分かる。」というものだった。 その時、私は何故かがっかりする事もなく、ああ、そうか・・・なるほどと 納得してしまった。 何となく理由も確信もないのだが、自分にはその方がいいんだろうなーと いう気がしたというか、私のどこかでそれを分かっていたと言えばいいのだろうか、 妙に納得している様な感覚を覚えていた。

他の人は未来が見られるのに、何故自分は見られないのか、
そんな疑問も沸いて当然なのだが、光の存在はこう説明をつけ加えた。

それは、私が今それを知ってしまうと、またそれに向かって 頑張り過ぎてしまうからというものであった。 これには思わず唸ってしまった。 う〜ん、何て自分の事がよく分かっているんだろう! 恐るべし潜在意識!と言わざるを得ないではないか。

現在、問題が解決した訳ではないのだけれど、不安に思っていた事も、 大いなる存在から大丈夫というお墨付きを頂き、いたずらに心配する事もなくなり、 気付いてみれば少しずつ心の平安を得られていると感じている。

時々不安になる事があっても、あの時のセラピーでの事を思い出し、 自信を持って自分に大丈夫だと言い聞かせる事が出来るので、 どつぼにはまるという事もない。

また、気付けば私の態度も以前と違ったパターンを取る様になり、 それにより相手の出方も変わってきている事も少なからず感じている。 そうして何かのきっかけで流れが変わり、問題解決へと導かれているのかもしれない とも感じる事ができる自分がいる。

何事もそうだと思うのだが、問題解決にはそれなりに時間を要するものである。 早く願い通りになってほしいと己の欲望のみ先走りがちになり、 目に見える成果としてすぐ目の前に現れないと、目先の事に一喜一憂し 無駄な時間とエネルギーを費やす事になりがちだが、 やはり物事の成就には時期というものがあるのではないだろうかとも思える。

それは皆に言える事か、私自身の場合だけに言えるのか分からないが、 私にとっては、必ず自分の願っている通りになり、こうして明るい未来を 信じる事ができ、前向きな思いで毎日を送れる事が、何よりの成果だったのでは ないかと思っている。

そして何より初めての体験が出来た事、ほんの少しの勇気を出して普段とは違う 行動を起こした事、何かが変わる何かのきっかけは、きっとそんな身近な 簡単な事だったりするのかもしれない。

数年後か、数十年後か、いつかまた違った自分、違った状況にいる自分、 今生での宿題を完全に終了できた自分、カワシマ先生にそんな報告ができたらいいな と思っている。

私自身の本当のヒプノセラピーは、今、始まったばかりなのかもしれない・・

 


■カワシマからひとこと■

私から説明することは何もなく、KTさまの感想文に 全部盛り込まれておりました。 KTさま、体験感想文誠にありがとうございました。

 

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