≪KMさんの自己改善7回コースでの感想文≫

産婦人科での内診台に上がれない原因は?そして前世での記憶

◆◆はじめに…◆◆

 私がヒプノセラピーを受けてみようと思ったのは、
どうして もあることを乗り越えなくてはならない切羽詰まった状況からだった。
それは産婦人科病院の内診台に上がること。
2002年1月、私は妊娠して病院を訪ね、これに上がるとパニック状態を起こしてしまうことを知ったのだった。


恥ずかしいとか緊張するなんてものじゃなかった。
突然呼吸が激しくなり、泣き叫び暴れる私の姿に、
ある医者は “もうウチでは診ない”と言い、別の医者は言う代わりに他の病院への紹介状を書いた。
彼等は「他の誰もが平気でできるのに。あなたはワガママだ。」
「病院に来たって意味ないでしょ」と吐 き捨てて内診室を出ていった。
困り顔の看護婦と、台の上で引き付けたように固まった私を残して。


内診という診察行為が嫌だったのではない。そこまで至ったことは一度も無いのだ。
前に立つのが女医だろうが看護婦だろうが関係ない。
椅子型の台に座り、足を開いて寝る形になった途端、
頭のどこかが突然切り替わって恐怖一色になった。
そんな自分が情けなく、また誰の理解も得 られずに辛く苦しい生活だった。


そして同時に、子供を産むことにも不安がつのるばかりの毎日だった。元々子供は苦手な方。
泣く子を見て、自分の子なら殴ってると思うこともしばしばだったし、
身近な1歳の姪ですら可愛くないと思うことがあり、そのたびに親になる自分は大丈夫なのかと悩んでいた。


そんな時、たまたま訪ねた姉の家で、
ヒプノセラピー、ヒーリング、リーディング…などについて書いてある雑誌を読み、
この苦しみが解決できるのではないかと興味を持った。
早速インターネットで関係HPを山ほどあたり、
自宅(実家)から近いところとして見つけたのが、「ヒールルームカワシマ」さんだったのだ。
折良くインターネット特典でヒプノ+気功ヒーリング2ワークセットがあり、
これはいいと申し込んだ。3月の2週のことだった。


◆◆1◆◆

初回、ヒプノについての説明を受け、自分の悩みについて色々と話した。
内診台のこと、子供のこと、自分がどんどん悪い方へ考えてしまう傾向があること、
家族のことなど。その後まず気功ヒーリングを受けた後に
「じゃあ慣れるために練習で」と入っていった催眠で、そのまま幼児期に戻ることができた。

小学生、3歳くらい、赤ちゃん時と戻っていったが、どこへ戻っても私はいつもひとりぼっちだった。
家に誰もいなくて淋しい…子供の私がそう感じた途端、涙が止めどなく溢れてびっくりした。
だが、母が現れて優しく抱いてくれるととても安心するのだ。
母の胎内に戻った時にはとても安らかな気持ちになった。それと同じような安心だった。


いつも遊んでいた公園では、その幼い自分(インナーチャイルド)と向き合うことになった。
おかっぱ頭にピンク色のジャンパーとえんじ色の小学校指定半ズボンを身につけていた。
一緒に遊ぼうか、と声をかけると彼女は、いらない、遊びたくないと言った。
淋しくてたまらないのに、他人を拒絶する姿が哀しくて、同時に痛いほどわかった。
自分のことなのだから当然なのだけれど…。
 
川島さんの指導のままに、彼女を抱き寄せてなでてあげていると、
段々とその小さな心がゆるんでいくのがわかる。
私に何をして欲しいのと尋ねると 、「可愛いって言って欲しい」と言うではないか。
それを聞いて ますます涙が流れ出した。
そうだ、私はずっと可愛い可愛いと言って欲しかったのだ。


私の両親は厳しい親だったと思う。子供に対する愛情も深い親だと思うが、
それを口にすることのない人達だった。そういう世代でもあるのだろう。
だけど、子供の私は、可愛いと、愛してると、言って貰いたかったのである。
私は彼女を抱きしめて、何度も可愛いと繰り返した。
胸につまった石ころを投げ捨ててあげると、
まるで表情の無かった子供はそのうち笑顔を浮かべるようになった。
その後公園で一緒に遊んでから、自分の家まで送り届けた。


2ワーク目の催眠では、インナーチャイルドと一緒に、子供の頃の嫌な場面に向かった。
小学校1年生の学校帰り、上級生らしい少年にいたずらされた事である。
これは忘れてしまった記憶ではなく、
ここへ戻るのも彼女は泣き叫んで嫌がった(実際、催眠中に私が泣き叫んでいる)。

この記憶については、催眠の中で上書きをしていただいた。
だから今、私の頭の中には、いたずらされる時に大人が出てきて警察を呼んでくれ、
少年がパトカーに乗せられていくという記憶も残っている。


この後、大いなる存在に会うために出かけていったが、
扉や壁をいくつも乗り越えていっても会うことはできなかった。
この体験で、私は産まれてくる子供に対する、心構えを学んだと思う。
いつも淋しくて、可愛いという言葉を 欲しがった幼い自分。
それは未来の我が子の姿なのだ。


唐突だが、私の夫は外国人なので普段は私も国外に住んでいる。
暮れの里帰りで妊娠が発覚し、安定期に入る4月中旬くらいまで、実家にいることになったのだ。
この日、家に帰って夫に電話をかけ「私って可愛い?」と訊いてみた。
どうせ「何言ってるよー」とか言われるかもな、と思いながら。
だが、夫は「うん。可愛い」と即答してくれたので目頭が熱くなった。
そして赤ちゃんが産まれたら、毎日可愛いって言ってあげようね、と話し合ったのだった。



◆◆2◆◆
 そんなこんなで2ワークを受け、行動修正には回数を重ねた方がいいという
川島さんのアドバイスから、続けて7回コースに入ることにした。
早速日程調節を始めた矢先、私は流産してしまった。
手術を受けたのは週数にして12週目だった。


 手術から1週間後の3回目、この日はまず、お腹を中心に気功ヒーリングをたっぷりやって頂いた。
これは体力の回復にずいぶん効果があったと思う。


 前回のヒプノでは、内診台に乗れないという最大の悩みの原因に
思い当たる節が出てこなかったので、今回は過去生に行きましょうということになった。
ところがどうもうまく過去へ行けず、自宅へ帰る道に戻ってしまうのだ。
そこでまた幼少期に戻って母にあやしてもらったり、インナーチャイルドに会いに行ったりした。
この時、彼女の胸に残った石ころを取ってあげて、じゃあ自分の…とブラウスの前を開けてみて、
私は目を疑った。本来なら肌や肉がある胸元は、真っ暗な穴だったからである。
穴といってもくりぬいたような穴ではなく、底が見えない宇宙のようなブラックホールだったのだ。


 初期の流産というのは、殆どすべてといっていいほど、胎児側に問題があるのだそうだ。
私の担当医師は自然淘汰という言葉を使ったが、要するに育たない、育てない命なのだ。
頭では冷静にわかっていた、と思う。それなのに、心にこんなに大きく深い穴が空いているなんて…。


 インナーチャイルドに向かって、私の赤ちゃんに生まれ変わってくれる?と尋ねると、
彼女はちょっと首をかしげて「うーん」と考え込んだ。
ちょっと渋っているので「しばらくの間だけ、ちょっと赤ちゃんに変身して。
後で元に戻すから」と頼んでみると、いいよ、と色好い返事が貰えた。
早速、赤ちゃんになった彼女を両腕に抱いて、胸の穴をその手のひらで埋めて貰うことにした。
ぺたぺたと、小さな両手でなでられているうちに、深いブラックホールは普通の肌に戻っていった。
そしてこの回も、大いなる存在には会えずに終わった。



◆◆3◆◆

3回目に過去生に行けなかったため、4回目の前夜、遠隔ヒーリングをしてもらうことになった。
過去生へよりスムーズに行ける状態にするためだ。
午前0時からの約束で、そのしばらく前から布団に入っていると、始まったかな?
という頃に頭がぐわんぐわんといった感じを強く受けた。
寝ながら目眩に襲われているようで、対面で受けている時より強い感覚だ。
なんだか足の方もぶるぶるするなあ…と思っているうちに眠りについてしまった。
川島さんが「遠隔はすごいのよー」とおっしゃっていたのはこういうことかなあ、と思いながら…。


そしてスッキリと過去生へ!とヒプノに臨んだわけだが…一向に過去へ戻らないのである。
あの手この手を使っては現在と過去の入り口を行ったり来たりして、
ようやく飛び込んだ過去での私は日本の17の少女だった。
草履を履き、紺色地に白い模様の入った着物を着ていた。
田んぼが広がり、遠くに松林が見える道を急いで歩いている。

松林の向こうは大きな湖で、そこへ行けば誰かに会えるかもしれないという期待を胸に、
早足で歩いているのだ。湖のほとりで会ったのは、白い着物を着た若い男性だった。
私はこの男性が好きなのだが、彼は寺院で修行中の身だし、
自分を妹のようにしか見ていないので一緒になれないことがわかっていて辛かった。

多分20歳頃、傷心の私はひとりでその村を出るが、
数年後には別の男性と結婚して家庭を作っていた。この男性は、よく見ると今の私の夫だった。
子供も生まれてしばらくは幸せに暮らしていたが、子供が5歳くらいの時、
川でおぼれて死んでしまうという事故が起きた。

私は哀しみと苦痛にいつまでもさいなまれ、二度と子供は産むまいと強く決心してしまい、
夫を拒絶するようになった。多分その後、夫婦関係は無かった のだろう。

いつか私は夫に捨てられ、たった一人で暮らすようになっていた。そして死の瞬間。
看取ってくれる人も無く、独りぼっちで死んでいく自分。
せめて子供がいれば…と後悔しながら息を引き取り、薄い水色の魂が天に昇っていくのを見た。


前夜の遠隔ヒーリングの時、私の胸にはまだ大きな傷が残っていたそうだ。
それをまた丁寧にふさいでいただいた。そして、子供を失うことを怖がるあまり夫すら失った前世。

もしかしたら近い将来、いや、今すぐにでも繰り返したかもしれない過ち…。
これらが功を奏したのか、それ以来私は流産のことでくよくよすることがなくなった。
たまに思い出して「本当だったら今頃何週でお腹の大きさはこれくらい…」
と考えることはあるし、淋しく思うこともある。だが、一時期のように涙することも、
街で妊婦を見て辛く思うこともなくなった。

忘れたわけではない。その先のこと、例えば夫婦の絆をしっかり結ぶこと、
新しい命を迎える準備をしておくこと、そんなことの方が大切に思えるよ うになったのだ。
こんなふうに、たった3ヶ月の短い命を使い、それを教えてくれるきっかけを作ってくれたことこそが、
私の赤ちゃんのカルマだったのかもしれない。



◆◆4◆◆

前回ようやく過去生に戻れたので今回もこの調子で…と臨んだ5回目。
ところがまたもや難関を極めてしまった。怖がって泣き出すインナーチャイルドを、
なだめすかして布団に寝かせ、過去との入り口を行ったり来たりしてなんとか飛び込んでみる
ことができた。ここに行くまで、通常の倍以上かかっているらしい。


この過去生では私は小さな子供だった。女の子だという意識はあるのだが、
まるで男の子のような格好をして野山を歩いている。場所は中国の、割と活気のある小都市だ。

家は大きくて、それなりに裕福な家庭のようだが、なんだか淋しい家、という感じがした。
15,6に成長した私は、綺麗な刺繍の入った美しい着物を着ているが、
男の子のように活発に外で遊びたいという欲求不満を抱えている。女という性を否定するかのように。

そのうち自分の結婚式を迎えることとなった。相手は顔も知らない、
親の決めた人。赤い婚礼衣装を着てとても憂鬱になっている。

そして、次に飛んだ“人生に重大なことが起こった時”はまさにその結婚式の夜だった。
初めて会った結婚相手との初夜に恐怖している私。
寝台の上で無理矢理足を開かされ、ショックを受けている。
それまで誰も教えてくれなかった夫婦の営みは、私にとって苦痛でしかなく、とても大きな傷を残した。

それからの私はずっと、屋敷の中の小さな部屋にこもって、夫とも顔を会わせないで過ごした。
ずいぶん長い間のひきこもり生活を送りつつも、私は屋敷に出入りする男性に恋をするようになる。
ふたりは互いに好き合うようになるが、夫との経験で受けた傷が深く、どうしても体の関係を
結ぶことができないでいた。

それでも彼は優しく見守ってくれ、遂に婚家を出て二人で田舎に所帯を持ち、
子供にも恵まれることとなった。家族で畑仕事をしながら幸せに暮らす私たち。
やがて年をとって夫を看取った後、自分は子供と孫に寝台を囲まれて、
幸せだったと思いながら息を引き取っていった。
そして、この、私を恐怖から立ち直らせて幸せな人生に導いてくれた人は、
やっぱり今の私の夫なのだった。


この後、大いなる存在に会いに行った。前回は足許しか見えなかったその人は、
白いスーツをノーネクタイで着た柔和そうな男性だった。
やはりこの前世の記憶が、内診台に上った時に恐怖を蘇らせているらしい。
この記憶から一歩踏み出すには、今の夫婦の関係をしっかりと結びつけるのが必要、とのことだった。

ただ、今、肝心の夫の方にも心に壁ができているので、そのためには、レイキよりも、
「夫婦を結ぶ遠隔ヒーリング」を受けるのがいいでしょうとも 。
そして、なかなか過去生に行けないことからもわかるように、私の心の壁が、
数が多いというよりもひとつひとつがあまりにも厚いので、なかな全てを取り去るのは難しい、
だけどそれも遠隔でかなり取れるようになるでしょうとの言葉 もあった。
そこで次回のヒプノ前夜にまた遠隔していただくことにした。


私たち夫婦は、人の姿形は似ているが環境も社会情勢も政治観念も違う国で育ち、
生活習慣の違いからくる行き違いも、笑ってしまうほど多い生活をしている。
そうでなくても些細なことでしょっちゅう喧嘩はするし、別れようとしたことも何度もある。
それでもどうしても離れがたくて結婚に至ったのだ。
正直言って、なんでそこまでこの人に惹かれるのか理解できず、真剣に考えてしまったこともある。
だけどこれは所謂“運命”だったのだろう。
この人が自分に必要なのだとどこかで知っていたからなのだろう。
夫は私と初めて会った時、何故か胸がばくばくして、
これは縁だと思ったのだと結婚してだいぶ経ってから言ったことがある。
縁があって出会ったのだから、もっとその縁を大切にしようと思う。
普通なら絶対出会いそうもない生まれ方をしたのに、色々な事情が交差して、
出会ってこういうことになった不思議を改めて感じたのだった 。



◆◆5◆◆

前夜に予め遠隔をして気を整えておいていただき、6回目のヒプノを開始した。
まず大いなる存在に会い、更に万全を期す為にインナーチャイルドを預かって貰った。
彼女が何か不安を抱えているのもうまく過去へ行けない原因にもなるらしい。
そして今回のヒプノのテーマを聞くと、「なにかを克服するということ」との答えがあった。
ものすごい波瀾万丈のストーリーがあるのかな?と頭の反対側で現在の自分は考えていたが、
案外穏やかな物語だった。


時は明治期、私は受験を目指す男子学生だった。
菖蒲の生えた庭のある家(今の東京都文京区、たぶん白山あたり?)に
両親と妹と暮らしている。
努力の甲斐あって希望の大学に進み、
都心のビルの一角にある小さな業界新聞社に記者として就職した。
27歳の時に日露戦争が起こっている。
その後、妻子と共にごくごく平凡な日々を過ごしていたが、
35歳頃、仕事でサハリンに単身長期出張に行くこととなる。
ここで肺を患い、また食べ物が合わずに胃腸を壊し、よろよろの体で帰国するが、
長い間病気が引かずに会社も辞めて自宅療養することになってしまった。

快復後は、小さな会社の事務職に就き仕事に復帰するが、
生活と仕事に楽しみを見つけることもできず、
また見つけようともせずにただ同じ毎日を繰り返すようになってしまった。
そんな彼に、なにか趣味でも作って生活に楽しみを見つけて欲 しいと妻は言い続けるが、
本人は熱心に聞こうとしない。
そのうち妻に50歳くらいで先立たれてしまう。

彼にはますます張り合いがなくなり、こころにぽっかりと穴が空いたような状態で
日々を過ごすようになってしまった。
だが、55歳頃、庭の花の絵を描くようになり、毎日を穏やかに暮らせるようになった。
その後も絵を描いたり庭をいじったりとささやかな楽しみのある日々を送り、67歳ごろまで生きた。
今回、ずいぶん細かい描写までイメージに響いてきたのが不思議だった。
この前世での私の名前は“小林新之介”といい、妻は“たき”、娘は“ゆうちゃん”といった。
死ぬまで私を心配してくれた妻は現在の私の母だった。
(あまりに色々とはっきりわかったので、現在も資料が残っていないか、
大いなる存在に尋ねたところ、先の戦争で消失して しまったとのこと。ちょっと残念)。


この前世を見てまた大いなる存在のところに行った。
この人生において、外国へ行った時に体を壊してしまったが、
たとえ慣れない生活でも自分から進んで慣れていこうとしていたら、
ここまでひどくなることもなかったし、
退屈な毎日の中でも、楽しいことを見つけていくこともできた 筈だった。
なにかをしても無駄なこと、とやろうとする前から諦めてしまう自分がいたから
状況が良くならなかったのだ。
不満を持っている状況を打破するために、自分の弱さに打ち克って、
進んで楽しみや幸せを探しに行けば人生も変わるのだ…そういうメッセージを受け取った。


そして次回、最後の7回目のヒプノでは、私の“怖がり”の原因になるところへ行くことになった。
大いなる存在によれば、それは今の私の幼少時代に遡ったところにあるという。
なので次回は過去生には行かないことになった。  

最後に、将来子供を持つにあたっての心構えはできましたかと尋ねると、
もう大丈夫ですとの答えも貰った。
たとえ子供ができない人生であったとしても、
それはそれで運命として受け入れられることでしょう、とも。安心した。



◆◆6◆◆

暦は4月に変わり、いよいよ最終回。この前夜も遠隔で気を整えていただいた。
いつものように大いなる存在に会いに行くと、またもや不在。
そこで館の侍女に聞いてみると、奥の部屋にいるが、
子供を一 緒に連れてきなさいとのリクエストがあり、インナーチャイルドを迎えに行った。
二人でもういちど訪ねてみたら今度はすんなりと会うことができた。
大いなる存在はインナーチャイルドを膝に抱きかかえて、
母親の胎内へ戻ってみましょうと言うので行ってみることにした。


母の胎内はとても安らかで気持ちのいいところだった。
私は現在二人姉妹であるが、実は母は2度の流産と、
私が生ま れる前年には嬰児死亡を経験している。
それで母が少し不安に思っているのが感じられ たものの、
産まれてくることを望む気持ちのほうが強く感じられて、自分としては楽しみな気 持ちが大きかった。

いよいよ出産となり、外の世界に出た瞬間は、なんとも言えない喜びのような、
感動の気持ちがいっぱいに広がった。しかし、すぐにどうも周りの空気がおかしいことに気づいた。
その出所は医者や看護婦さんたちであろう。
なにかとんでもないことが起こってしまったというザワザワとした様子と異常な緊迫感に包まれてしまい、
途端にものすごい不安と恐怖が私を襲ってきた。
医者も看護婦も焦っている。母に大変なことが起きている。
そして私は、たった今産まれたばかりなのに、母と長い時間引き離されることになったのだ。

独りで居る不安、やっと戻ってきたもののとてもぐったりしている母。
胎内はあんなに気持ちのいいところだったのに、
産まれてきたこの世界は、なんだかわからないけれどものすごく怖いところなのだ…。
生まれ落ちた瞬間、体中で強烈に感じた恐怖感が、私の怖がりの原点になってしまったのだ。


この時母になにが起こっていたのか、成長した今の私は話に聞いて知っている。
赤ちゃんが産まれるとすぐ後産といって胎盤が出てくるが、
母の場合、子宮に癒着してうまく出てこなかった。
それで担当医が外に出ている部分を何故かハサミで切ってしまい(これは医療ミス)、
残りが体の中に戻ってしまったため、 緊急に剥離手術をすることになったのである。

この手術の出血多量で母は生死を彷徨い、結局母子共に1ヶ月間入院生活を送ることとなった。
セラピーの後で母に確認したら、
手術の前の段階、つまり周りの人が大慌てでざわめきあっている間中、
私は同じ室内にいたのだそうだ。そして、産まれてから丸2日も、母から離されていたのだと。


大いなる存在に、この記憶に上書きをして恐怖心の元を取り除くのがいいか聞いてみた。
すると彼はその必要はないという。物事に対し、
恐怖や哀しみや苦しみの感情が沸くこと自体は悪いことではない。
そういった感情が沸くことが、どうしてだろう、どうすればいいだろうと
深く考えるきっかけになるからだそうだ。
ただし無闇やたらに怖がるのは良くないことだけれど。

大いなる存在にはこんなことも聞いた。人は様々な経験をする 。
そのことは、個人レベルの誰かが「こうしよう」と思ってしているのではなく、
もっとずっと大きいところの流れで「そういうふうになる」ように出来ているのだとか。
それを神 の意思と言う人もいるのだと思う。


今回のハイライトとして、初めて光の存在にアクセスした。
もうすぐ夫のいる国へ戻るにあたり、気を付けることはなんですかと聞いてみると、
その姿は見えないが、大きな光の輪のようなところからメッセージが響いてきた。


___わがままを言わないようにしなさい。彼の為に良かれと思って言う言葉でも、
本当に良いことなのかよく考えてから口にしなさい。
彼は今、体があまり良くないから、いつも健康に気をつかってあげなさい。
どうしても嫌なことがあったなら、そのことについてはちゃんとふたりでよく話し合って解決するように。
彼ほど私のことを好きでいてくれる人は他にいないし、彼は本当にいい人だから、大切にするように___


この、体があまり良くないことについては、川島さんに遠隔していただくようにと指示があった。
回数は2〜3回。これに夫婦の絆をつなぐための遠隔をセットにしてお願いすることにした。
「宜しくお願いします」というのは、光の存在から川島さんへのメッセージである。

最後にもう一度大いなる存在のところへ戻った。
インナーチャイルドと一緒に帰ろうとしたら、
「この子は可愛いから私が預かりたい」と申し出られたので、お願いすることにした。
どうやら子供がお好きらしい。
だから、1ヶ月前には独りで公園にいた私のインナーチャイルドは、
今は大いなる存在に抱っこされて休んでいる。
これってどういうことだろうね?と川島さんも首を傾げていらしたが、
そのおかげかどうか、今の私はとても安らかだ。



◆◆おわりに◆◆

自己改善7回コースを終えて、私は自分の家のある場所へ帰る。
日本での生活や常識とはまるっきり違う生活がそこには待っている。
不満ばかりつのって夫に当たり散らしたことも、日本へ帰ろうと荷造りしたことも1度ならずあった。
だが、自分がどれだけ夫を必要としているか、
彼と一緒にいたがっているかを知ったこれからは、生活そのものが大事に思えることだろう。

肝心の内診台恐怖症については、実際のところ、
どこまで克服できているのかまだわからない。
ただ、このことについても具体的な対処法(練習法?)を大いなる存在は教えてくれた。
折を見て実践したいと思う。


 この一ヶ月で本当に沢山のことを感じて学んだ。そして、それを教えてくれたのは、
全て私自身なのだというのが、不思議でもあるけれど、とても心強い。
長くて、また大変なこともあったけれど、長い目で見ればいい里帰りになったと思っている。






<KMさんと運命のご主人の結婚写真です>

 お二人の末永いお幸せをお祈りします
         /カワシマ
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